連画SESSION | |
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「ニューイヤーカンブリアン2003」参加後感想
これはインターネットだからこそ可能になった距離を越えた画像によるセッションです。
このセッションは一枚の星の絵から始まり、最終的には292枚の絵からなる巨大な地図が出来上がりました。
最終大地図画像
セッションのルールは、画像に関連のある画像をリンクすることだけで、それ以外に指定されていたことは、1.提出する元画像は自分に著作権があること
2.ファイルタイプ(jpg)とその最大容量というこの2点だけでした。
デジタル化した画像は、加工しても“Undo”で元に戻す事ができる上に、web上にアップしてある画像は
画質を落さずにいくらでもコピー、DLが可能です。そこに着目してこのセッションでは、
「人の作品に手を入れる」
という今までタブーとされてきたことを積極的に試みています。その他にも、
「セッションメンバー(連衆)同士の画像のシェアー」
「絵によるイメージの伝達の効果とその流れ」
「絵に添えられるタイトルやコメント(言葉/テキスト)の効果」
「連画により生まれるコミュニケーション」
「直感的な共通イメージや違いの発見」
「限定された期間や時期が「連」という流れにもたらす効果」
などなど、実に多様で興味深いデータを持っています。
セッション(即興)の醍醐味は、相手が出した表現により、自分の中に眠っていた精神的な
マテリアルを呼び醒される事だと思います。これは相手があるからこそ生まれるものであり、
普段自分の嗜好し勝ちな表現方法から解き放たれるきっかけを他者が与えてくれる大変刺激的で
魅力的な時間です。(2003.3/23追記)作品の解釈は、俳句と同様で観賞する人に委ねられます。
解釈から生まれたイメージは自分の内面を現しながら次にリンクしていきます。
セッションはあらゆる意味で自分の器を問われ、何を引きだすかの才量を人に見られます。
これは、歌仙でのセッションでも音楽のセッションでも全く同じだと思います。
基本は他意なく表現することだと思っていますが、表現をシェアーしながら連なる為には、
自分の表現に対するポリシーや責任の線引きが事前にしっかりできていなければならない事を
改めて強く感じました。「自由の裏には責任がある」という台詞をよく耳にしますが、このように、
規制が少ない自由な座を与えられた場合にこそ自分の表現に対しての心構えをしっかり持っていな
ければいけないと自戒しています。
最終的にはセッション全体の総合的なバランスが重要なのだと思います。どのように流れが出来て
いくか、又はセッションメンバーがどのように流れを作っていくかがセッションの楽しみであり
見どころになるのでしょう。出来上がった作品は、作者のものでもあり、連衆のものでもあり、カンブリアンの一部でもあります。
最終的に出来上がった地図は、それ自体が一つの大きな作品でもあります。
どれが一体誰のものかをはっきり呈示させないまま存在しているカンブリアンの在り方を私は好ましく
思っています。
昔から伝わる「わらべ歌、民謡、和歌、俳句」のように「詠み人知らず」のまま長い年月を経ても
大衆に好かれ続けるような形の文化を“理想的なパブリック・ドメイン”だと日頃思っているので、
今回このセッションで自分がほんの少しだけでもそちらの方向に近づけたような気がしてうれしく思っ
ています。などなど、いろいろな事を考える機会をこのセッションでいただきました。
それにしても
「webだからこそ可能である方法をふんだんに使ってみんなで遊んでしまう」
というこの企画、何とも風通しがよく爽快ではないですか!tamasudare
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